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排除ベンチやいじわるベンチについて

排除ベンチやいじわるベンチについて|画像生成と会話するAIの魅力と可能性
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排除とは、特定の人々を意図的に排除・除外することを指します。都市空間においても、ホームレスや若者、高齢者などの一部の人々を意図的に排除する仕組みが存在しています。その一つが「排除ベンチ」や「いじわるベンチ」と呼ばれるベンチです。先日、都筑区内を散歩しながら公園や道路などに置いてあるベンチを観察してちょっと気になったベンチは写真を撮ってみました。また排除ベンチやいじわるベンチと呼ばれるベンチを集めてみました。(写真を参照してください)

排除ベンチとは、座る人の姿勢を制限するようデザインされたベンチのことです。背もたれが中央に割れているため、横になることができません。また、アーム部分が短く切れ込みがあるため、寝転ぶこともできません。このようなデザインは、ホームレスの人々が長時間そこに留まることを防ぐ目的があります。

一方、いじわるベンチは、高齢者や体が不自由な人を意図的に排除するデザインになっています。背もたれや腰掛けの高さが普通のベンチより高く、座りにくい構造になっているのが特徴です。また、アームレストが無く、手すりがないため、座る際に体を支えることができません。このように、いじわるベンチは高齢者や障碍者が利用しづらいよう設計されています。

こうした排除的なデザインは、1990年代から欧米で広まりはじめました。治安対策やリストラ対策、景観保持などを理由に、公園や駅など公共空間から一部の人々を排除する動きが活発になったのです。日本でも2000年代に入ると、都市部を中心にこうしたベンチが増えてきました。

排除ベンチやいじわるベンチの設置に対しては、様々な議論があります。

設置賛成派は、ホームレスの人々が公園で寝泊まりすることで公園が荒れ、治安が悪化すると危惧します。また、高齢者は誰かに腕を借りれば普通のベンチにも座れるという考えから、いじわるベンチの設置を容認しています。さらに、若者が夜間に公園で飲酒や喫煙をするのを防ぐ効果もあると主張しています。

一方、設置反対派は、こうしたベンチはホームレスや高齢者、障碍者の人権を無視した差別的なものだと批判しています。貧困や障碍という個人の責任ではない事情で排除されるのは不当であり、公共空間はあらゆる人々が平等に利用できるべきだと訴えています。

私見を述べれば、排除ベンチやいじわるベンチの設置は人権侵害であり、差別的な施策だと考えます。公園やベンチは、全ての人々が自由に利用できる空間であるべきです。ホームレスの人々をいちいち排除する必要はありません。彼らを受け入れ、支援の手を差し伸べることが大切です。また、高齢化が進む中で、高齢者や障碍者が外出しやすい環境を整備することは喫緊の課題です。いじわるベンチはその障壁となっており、撤去すべきでしょう。

都市は多様な人々が共生する場所です。排除的な発想ではなく、包摂的な発想で都市をデザインすることが求められます。それが、誰もが住みやすい人権が尊重された社会につながるはずです。

単に排除やいじわるさを目的としたベンチの設置は、倫理的観点から見ても疑問があります。むしろ、ユニバーサルデザインの観点から、年齢や障碍の有無に関わらず、誰もが利用しやすいベンチをデザインすべきです。

具体的には、背もたれと座面の高さは適切な比率を保ち、アームレストは付け、手すりも設置する必要があります。材質には肌触りの良い木材を使用し、適度な長さと奥行きを確保します。こうしたベンチであれば、高齢者はもちろん、妊婦、子ども、障碍者など、誰もが快適に腰をおろせるはずです。

このように、人間の多様性を前提とした都市デザインが大切なのです。本来、公園は健康で若い人だけのものではありません。高齢者や障碍者、ホームレスなど、立場の弱い人々にとってこそ、憩いの場として機能するべき空間なのです。

私たちには、多様性を尊重し、誰もが居場所を得られるような社会をつくる責任があります。そのためには、偏見に基づく排除的な施策ではなく、人権を尊重した施策が必要不可欠です。排除ベンチやいじわるベンチに象徴される差別を許容するのではなく、包摂的な社会の実現を目指したいものです。

排除ベンチやいじわるベンチについて(都内など)

排除ベンチやいじわるベンチについて(都内など)

排除ベンチやいじわるベンチについて(都筑区内)