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干支から西暦年変換と西暦年から干支変換

干支から西暦年変換と西暦年から干支変換|画像生成と会話するAIの魅力と可能性
https://note.com/chat_gpt777/n/na754e2d54e02

古文書を読んでいると、天正11年と書くような文書はまれで、大抵「癸羊」(みずのとひつじ)と書かれていることが多い。年の干支で表している。干と支の組み合わせで60個の干支が出てくる。次の同じ干支までは60年の差がある。
したがって文書内とか文書の他の記述等で西暦年を探ることになる。その時参考に出来るのが江戸時代の元号・西暦対応表ですが、江戸時代すべての年の情報が入っているので詳しく調べるときは便利ですが、概略どの年代と検討を付けるときにはちょっと重たい。そこで年の干支を入れると江戸時代の西暦年を出力してくれるホームページを作ってみました。これは生成AI「Gemini1.5 Pro」を使ってプログラミングをやってみました。

江戸時代の1年は、基本的には 365日 でした。これは現代と同じですね。ただし、江戸時代は 太陰太陽暦を採用していたため、月の満ち欠けを基準にしていました。そのため、季節とのズレを調整するために 閏月(うるうづき) を設けていました。閏月のある年は 366日 になります。閏月の入れ方については複雑なルールがあり、平均すると 19年に7回 閏月が挿入されていました。

ではのルールは定義できるかというと複雑なルールで不変ではない。変わるので、実は変換する数式、仕組みは存在しないのです。太陰太陽暦太陽暦の変換、逆変換の仕組みはない。太陰暦でも天保暦等いろいろあるので、それらを式で表すことは出来ない。

したがって変換表を利用する(過去)
過去に作成された太陰太陽暦太陽暦の対照表を利用する方法です。江戸時代であれば、当時の暦や資料に記載されていることもあります。現代では、国立天文台のウェブサイトなどで過去の暦の情報が公開され
ているので、そちらを利用して探すことになりますね。多分、今ネットで探して太陰暦太陽暦換算しても間違っていないと思います。これは未来ではなく、過去の表を参照するから。古文書の資料の日記なんかも生き証人になりますね。閏何月なんて記述もあります。

太陽暦の基準年は明治6年1月1日は、西暦では1873年1月1日
明治5年(1872)11月|太陽暦が採用される:日本のあゆみ
https://qr.paps.jp/O1xDh

明治5年(1872)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦グレゴリオ暦)を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました。 1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時 間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦明治6年1月1日とすること、 が定められました。

今回作ったプログラムは詳しくは下記の表を探して利用することを前提にしています。江戸時代260年を目で追うには大変だから。
江戸時代の元号・西暦対応表(石野哲 2023.03.31作成 2023.04.07改訂)
https://www.inoh-ken.org/nengo/nengo-yedo.html

干支から西暦年変換
https://tsuzuki.main.jp/aoba/eto/index.html
西暦年から干支変換
https://tsuzuki.main.jp/aoba/eto/seire/index.html

陰暦・太陽暦変換は数学で計算式を立てては出来ないけれど、一覧表を使う手があった。

下記のcgiは一覧表データを参照して陰暦・太陽暦変換をしている。
陰暦(旧暦)変換
https://www.akitahandball.net/kuri/koyomi.htm
新暦と旧暦変換
http://koyomi8.com/kyuureki.html

正しい和暦西暦対照表 (江戸時代の旧暦対応) 
https://tonbiwing.com/ref/calendar/