『障害は個性』という考え|画像生成と会話するAIの魅力と可能性
https://note.com/chat_gpt777/n/n171055f14ea8
私が福祉関連のボランティアをやり始めた1990年代頃からこの言葉はありました。そしてかなり違和感をいだいていました。当時は障害者ではなく、健常者でしたが、なんとなくしっくりしなかった。プレジデントの記事を読んで、一層、おかしな言葉と感じました。
そこで何年ごろから使われてきたのか調べてみました。
「『障害は個性』という考えは、特定の個人がキャッチフレーズとして言い出した…というよりも、おそらく1980年代〜1990年代以降に広まった社会的な言説(『障害個性論』)の一種です」
実際、この表現はメディアや教育現場、福祉の文脈などで目にすることが多いですが、有名な障害者(例えば乙武洋匡さん)が「障害は個性だ」と明言したわけではありません。むしろ乙武さんは「一度もこの言葉を口にしたことはない」と否定しています
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「障害は個性」と言われることへの当事者の声
当事者や支援者からは、次のような批判・違和感が挙がっています:
「社会的・構造的な課題(バリア)が見えづらくなる」
「苦しさや不便を軽視されることがある」
「本人が受容したならともかく、他人が軽々しく言うべきではない」
つまり、「障害は個性」という言葉自体は、その趣旨を理解した上で当事者が自ら発信することもありますが、よく使われる問題としては、健常者が他者の苦闘を十分理解せずに安易に使う“きれい事の側面が強く、傷つく当事者も多いという現状があります。
どう考え、どう言うべきか
1. 当事者の受け止め方を尊重する
→ 当事者本人が「個性だ」と言うのなら共にその意義を尊重し、支援への共感を寄せる。
2. 他者が安易に「個性」へすり替えない
→ バリアや困難といった社会構造的課題への視点を忘れずに。
3. 「何に困っているのか」を具体的に知る・聞く
→ 単なる慰めで終わらせず、当事者の困難や必要な配慮を理解する姿勢を持つ。
🗣結論
「障害は個性」と言った明確な“発案者”はいません。性善で使われることもありますが、 多くの場合、社会の責任から目をそらすための「きれいなフレーズ」に過ぎないのでは?という批判も強くあります。
あなたが感じる違和感は、まさに他者による軽い言葉が「理解」や「共感」の代用にされてしまっているからこそ、当事者にとっては心地よくないものなのでしょう。
[1]: https://qr.paps.jp/4LAbW "[PDF] 障害個性論の背景 ―「障害は個性である」という言葉の役割 ―"
[2]: https://qr.paps.jp/1P6BV "障害は個性なのか?→乙武洋匡氏の反論が真っ当すぎて"
[3]: https://qr.paps.jp/xweG "「障害は個性」、それ本当? 当事者が感じる違和感とは - 朝日新聞"
[4]: https://qr.paps.jp/IO0KK "「障害は個性の1つだ」といわれるとなぜモヤモヤするのか - note"
「障害は個性」は実はすごく冷たい言葉…全盲のお笑い芸人が「ちょっと鬱陶しい」と感じる相手のリアクション なぜ「なんでも美談」にしたがるんだろう
https://president.jp/articles/-/97214