丹波湖伝説(亀岡盆地は太古、赤土の泥湖だった。)
「丹の湖」と称され、丹色(朱色)の波が立ったところから国名「丹波国」の由来と言われる保津峡は現在の位置から80m程上の方を流れていたとか。(1万年前から数千年前)500万年前は、280m位上という説もあるが、この時は京都府の地形も固まっていなくて、島のようなものが一杯あったのではないか、一つの湖としては捕らえられないようです、
亀岡の神社にはこの「丹の湖」丹波湖を開拓した神々の話が伝説として残る。子供の頃古老の話では奥条の瑞巌寺がこの湖の西の端で、船着き場になっていたという。
どんな湖だったのか、カシミール3Dを使ってシミュレーションしてみた。保津の山本浜(標高80m)を起点にして80m上まで水があったと想定した。保津峡は閉じられたと想定、亀岡の市街地は水没、園部から日吉ダム下まで、西は奥条瑞巌寺、佐伯神蔵寺、大正池などが水没する。
童話|朗読|昔々、丹波は赤い湖だった
https://www.youtube.com/watch?v=fl6RupvoQgo
丹波湖開拓伝説 京都通百科事典
https://www.kyototsuu.jp/Life/LegendTanbako.html