雲海から日の出「霧の寺」眺望人気 住職自ら山林整備、山門で「額縁」の景色も 京都・亀岡
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雲海から日の出「霧の寺」眺望人気 住職自ら山林整備、山門で「額縁」の景
色も 京都・亀岡
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/359867
獨鈷抛山 とこなげさん 千手寺
http://tokonagesan.kyoto.jp/
通称「とこなげさん」、「眼病」に霊験あらたかな臨済宗妙心寺派の寺で、実
家から歩いて30分ほど山道を登りました。登りは急な坂道で結構大変だった。
現在は車で登れます。亀岡は霧の都と言われるほど、シーズンになると濃い霧
に覆われ、11時過ぎにならないと霧は晴れません。ここからの眺望は綺麗なと
ころです。亀岡盆地が湖だった時代(太古)はこの辺りが顔を出していたとこ
ろだったのでしょう。
寺伝によると大同二年(807年)弘法大師の開創といわれ、遣唐使として唐
に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、本国に向かって「独鈷(
とっこ)」を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。帰国後そ
の行方を奈良の 春日神社にうかがい「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、娑婆山
の松の枝にかかっている」との神託により、白鹿に導かれて、この地に来られ
たということです。
以来この地を「鹿谷(ろくや)」山号を「獨鈷抛山(とこなげさん)」十一面
千手観音(大師一刀三礼の作)を安置するので「千手寺(せんじゅじ)」とい
うようになりました。
当寺は創建後藤原時代に焼失し建長寺の止菴和尚が復興し真言宗から臨済宗
に移りました。その後、天正五年(1577年)にも兵火にかかり、妙心寺の
禅岩和尚が 再興して妙心寺派に属するようになりました。