「日本疾病史」
今、文春新書『感染症の日本史』磯田道史を読んでいる途中です。後2,3日掛かるかな。
その中に「日本疾病史」という本が紹介されていました。古代からの感染症をまとめた疾病史です。はしか、天然痘、スペイン風邪など繰り返し繰り返し襲ってくる疫病、感染症に先祖はどう対応してきたか?生きた見本があります。今回のコロナも先は判らない。当時も同じで、先は判らない。
でも後から考えても適切な対応の仕方をしていたり、失敗だったものもあって、それぞれそれなりに勉強になる感染症だったことが、富士川游氏の超人的な努力活躍で集大成されている。そんな書籍をで国立国会図書館デジタルコレクションで、京都大学貴重資料デジタルアーカイブで現在読めることが出来る。明治37年発行の書だから古文書の知識は無くてもほぼ読める。ちょっと硬い文章ですが、何となく伝わってくる。
そしてもう一冊、明治45年名著「日本医学史」これも力作です。富士川游氏に興味を持ちました。序文に森林太郎の名前がありました。森鴎外は陸軍のエリート、でも富士川游氏は帝大の医学部出身でないということでいろいろ妨害のあったようです。鴎外も序文を記述しているということは認めていたのでしょうね。実績を見れば価値の判る人ですね。後世の我々のようなものでも。書物を通じで知る面白さですね。同時代と生きたわけではないが、時間と空間を超えて通じるところがあるのが書物の良いところですね。磯田道史によれば疫病、感染症のことはいろいろな日記、雑文の類いに残っている。しかし人口とリンクした記述は少ないらしい。「日本疾病史」はその点でも優れた書物とか?
今のコロナウィルスを考える上でも示唆に富んだ考え方が見られます。江戸時代の日本は今から見るとすごいことを知っていて、それを実行していた人達が一杯いた時代だと言うことが判ります。「歴史に恥じない」というのは非常にハードルが高いことです。今の人間に比べて格段に立派なことをやっています。そんなことがよくわかる書物です。戦後戦前は酷い時代、江戸時代は封建時代で遅れたどうしょうもないと言われて育った「戦争を知らない子供達も75歳」そろそろ昔の立派なことは立派と素直に評価していきたいですね。欧米が何でも一番で育ってきたが、本当のところは?自分で残りの人生をかけて探っていくのもこれからの生き方かもしれません。
出来れば医学の知識の或る人に読んでみて欲しい本です。
日本疾病史. 上巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833367
日本疾病史 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1854171
日本医学史 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833360
富士川文庫 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/collection/fujikawa
富士川文庫は医学博士、文学博士富士川游氏が、大正6年以降3回にわたって寄贈した氏の旧蔵書4,340余部9,000余冊の集書である。
博士は慶応元年(1865)5月広島に生れ、昭和15年(1940)11月鎌倉で病死した。博士は明治20年広島県医学校を卒業してドイツに留学、明治33年イエナ大学を卒業して帰国し、帰国後は京都、九州、東北の各帝国大学で医学史を講じた。明治45年名著「日本医学史」に対して帝国学士院より恩賜賞を授与され、大正3年に文学博士、同4年に医学博士の学位を授与された。
富士川文庫本は博士がその畢生の大作である「日本医学史」の編纂のため、参考資料として四方に求めて採収した苦心の収書である。文庫は明治以前の和漢の医書と江戸中期以後主として幕末期の西洋医学書の翻訳書より構成されわが国の医学に関する典籍は平安朝より明治初期に至るまで網羅して余すところがないといっても過言ではない。
富士川 游(ふじかわ ゆう、慶應元年5月11日(1865年6月4日)- 昭和15年(1940年)11月6日)は、日本の医学者、医学史家。旧姓は藤川、幼名は充人。安芸国沼田郡長楽寺村(後に安佐郡に編入、現・広島県広島市安佐南区長楽寺)出身。