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全日空羽田沖墜落事故ついて

全日空羽田沖墜落事故ついて|画像生成と会話するAIの魅力と可能性
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正月から震度7地震阪神大震災の5倍と言われている。その後2日の日航と海保機心のの衝突事故、幸い大惨事にはならなかったが、ちょっと違っていたらと思うと恐ろしくなってくる、原因も理由も違うが、この事故を聞いて、昭和41年(1966年)に起きた飛行機墜落事故を思い出した。1か月後にも起こった。個々の事故は独立していて、関連はなかったが、頻繁に連続して起こった。中学生の話です。

今回の事故も最初から中継で見ていた。着陸途中で火を噴きながら滑走路を進んでいってある点で停止した。この時にはまだ火はあまりに出ていなかった。天井も機体も燃えていなかった。窓の3つの内側に火が見えていた。その時消防車が70台到着とアナウンスされていた。多分すぐに消すことが出来るのだろうと思っていたが、火の勢いはどんどん強くなってきた。そして機体全体に火がまわった。その時は乗客は脱出済みだったようです。中継のカメラには写っていなかった。その後別のカメラの映像が流されていた。

70台の消防車をもってしても消すことが出来ない。航空機事故の怖さを感じた。燃料はそんなに残っていなかったと思うが、機体の材質が良く燃えたのか?基本的にはジュラルミンでもカーボンでも耐火性能はそれなりにあるのでしょうが、条件が揃えば燃えないものはないと言われている。それにして凄いことだった。昭和41年の事故でも交通事故よりずっと危険率は低いが、いったん事故が起こると悲惨な状態になると言われていた。今回は機体は燃えたが、乗客は無事だったのが救いです。詳細な原因はそのうち報告が出てくでしょうが、絶対安全というのはないですね。

全日空羽田沖墜落事故 - 東京湾羽田沖、2月4日。
全日空羽田沖墜落事故(ぜんにっくう はねだおきついらくじこ)は、1966年(昭和41年)2月4日夕刻、全日空ボーイング727-100型機が東京国際空港沖(羽田空港沖)の東京湾に墜落した事故である。乗客乗員133人全員が死亡し、1966年当時において一機の単独事故としては世界最大の墜落事故となった。

カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故 - 羽田空港、3月4日。
その直後の20時15分、402便は右主脚を進入灯接触させてしまい、進入灯を次々と破壊しながら進行して護岸に衝突。機体は激しく大破・炎上した。この事故で運航乗務員3名・客室乗務員7名・乗客62名の合計72人のうち、乗務員10名全員と乗客54名の合わせて64人(うち日本人5名)が犠牲となり、乗客8人が救出された。

英国海外航空機空中分解事故 - 富士山麓、3月5日。
日本航空羽田空港墜落事故 - 羽田空港、8月26日。
全日空松山沖墜落事故 - 松山沖、11月13日。

羽田空港の事故というと必ず事故の因縁に「横田空域」というものがあると言われる。米軍の空域のために羽田の空域が制限されていて、発着に使えるコースが極端に制限されている。

日本の空なのに自由に飛べない 米軍に支配された「横田空域」という国家病理
https://merkmal-biz.jp/post/55958
なんだっけ/「横田空域」って?
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-01-12/2020011203_02_0.html
flightradar24.com(航空機の針路をリアルタイムで表示している)
https://www.flightradar24.com/35.57,138.64/8

国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所 | 羽田空港の情報|羽田空港の歴史
https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/05-info/history.html
羽田空港の歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/48/4/48_4_4_7/_pdf

全日空羽田沖墜落事故ついて

全日空羽田沖墜落事故ついて