Bardで和歌の解釈をしてくれます|画像生成と会話するAIの魅力と可能性
https://note.com/chat_gpt777/n/nce7935e50a56
Bardで和歌の解釈をしてくれます。歌の解釈は人それぞれによって違ってきますが、平均的な答えになっていると思いますが、いかがでしょうか?最初の2首は小倉百人一首から、後の2首は展示会から借りてきました。有名な小倉百人一首だと解釈文がネット上にも転がっているので、それを拾ってきた方も知れませんが、展示会からのものはBardが初めて見たものでしょう。それにしては旨く解釈しているように思います。和歌は凄い情報源ですが、最近の日本人には理解、解釈できないものになってきています。Bardの力を借りて和歌、俳句などの解釈をこころみるのも楽しいかなと思います。また和歌、俳句をプロンプトにして絵を描かせるのも楽しいと思います。因みにChatGpt(無料版)は作者を間違えたりかなりアバウト(いい加減な)答えを出してきます。それに比べてBardは正確かなと思います。やってみないと判らないところがあるので先ずはやってみましょう。
Bard
https://bard.google.com/chat
Microsoft Bing の Image Creator
https://www.bing.com/create
1.次の和歌(小倉百人一首)を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ
光孝天皇のこの和歌は、恋しい人への愛情と献身を表現したものです。
「君がため」と繰り返すことで、恋しい人への想いの強さが伝わってきます。また、「若菜」は春の七草のひとつで、長寿の象徴とされています。つまり、恋しい人に長生きしてほしいという願いが込められています。
「我が衣手に雪はふりつつ」は、雪が降りしきる寒い日に、恋しい人のために若菜を摘みに出かける様子が描かれています。この句は、恋しい人への想いがあまりにも強いために、寒さや苦労もいとわず、若菜を摘みに行くという、恋人の想いの深さを表しています。
また、雪が降る寒い日に若菜を摘むという行為は、恋しい人への献身と愛情の象徴とも解釈できます。恋しい人のために、自分の身を犠牲にしてでも、若菜を摘みに出かけるという、恋人の強い愛情が表現されています。
このように、この和歌は、恋しい人への愛情と献身を表現した、優しくも切ない恋歌です。
以下に、この和歌を現代語訳したものをご紹介します。
あなたのために春の野原に出かけて、若菜を摘んでいる。私の着物の袖に、雪が降りかかってくる。
この現代語訳では、雪が降りしきる寒い日の様子がより明確に伝わります。恋しい人への想いがあまりにも強いために、寒さや苦労もいとわず、若菜を摘みに出かけるという、恋人の想いの深さがより強く表現されています。
2.次の和歌(小倉百人一首)を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに
小倉百人一首の9番、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、春の長雨が降り続く間に、桜の花の色が色あせてしまったように、私の容姿もすっかり衰えてしまったことを詠んだ歌です。
「花の色」は、文字通りの桜の花の色であると同時に、作者自身の美貌を象徴する言葉として解釈されています。また、「いたづらに」は「むなしく」という意味で、長雨のせいで桜の花が色あせてしまったことを、作者の人生における何かの無駄な時間や出来事に重ね合わせていることを示しています。
「わが身世にふるながめせしまに」は、「ぼんやりと物思いにふけっている間に」という意味です。作者は、春の長雨に物思いにふけっている間に、自分の容姿の衰えに気づいたのでしょう。
この歌は、人の美しさは永遠ではないことを詠んだものであり、また、時間の流れの儚さや人生の無常さを表現した歌としても捉えることができます。
さらに、この歌は、作者の恋愛や世俗的なことに心を奪われ、自分の美貌を大切にせずに過ごしてきた後悔の念を、桜の花の色あせに重ね合わせたものだと解釈することもできます。
いずれにしても、この歌は、作者の人生観や美意識が垣間見える、奥深い作品であると言えるでしょう。
3.次の和歌を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
日本海に 陽は沈み ゆき手を合わす 亡き夫偲ぶ 古里新潟
この和歌は、故郷の新潟で、亡き夫を偲ぶ女性の心情を詠んだものです。
まず、冒頭の「日本海に 陽は沈み」は、夕暮れの新潟の風景を描いています。日本海に沈む夕日を眺めながら、女性は亡き夫の面影を偲んでいるのでしょう。
次に、「ゆき手を合わす」は、女性が亡き夫の手を握りしめている様子を表しています。亡き夫が今ここにいれば、二人で手をつなぎながら夕日を眺めただろうという、女性の切ない思いが伝わってきます。
そして、後半の「亡き夫偲ぶ 古里新潟」は、女性が亡き夫との思い出を深く刻み込んだ故郷への思いを表現しています。故郷の新潟は、女性にとって亡き夫と過ごした大切な場所であり、だからこそ、その場所で亡き夫を偲ぶことができるのです。
このように、この和歌は、亡き夫を偲ぶ女性の切ない心情と、故郷への深い思いが、対比的に表現されています。
具体的には、以下のような解釈も考えられます。
女性は、故郷の新潟で亡き夫と再び会えるのではないかと、淡い期待を抱いている。
女性は、亡き夫との思い出が詰まった故郷を、いつまでも大切にしていきたいと思っている。
いずれにしても、この和歌は、亡き人を失った悲しみと、それでも故郷への思いを忘れられない女性の心情を、切なくも美しく描いたものと言えるでしょう。
4.次の和歌を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
木洩れ日に 覗かれ楽し 露天風呂 思い出つづる 終活の旅
この和歌は、終活の旅で露天風呂に入ったときの思い出を詠んだものです。
「木洩れ日に 覗かれ楽し」の部分は、木漏れ日が差し込む中、露天風呂に入る自分の姿を誰かに見られたことが、むしろ楽しかったという気持ちを表しています。これは、終活の旅で自分の人生を振り返り、これまでの人生を肯定的に捉えている様子を表していると考えられます。
「露天風呂 思い出つづる」の部分は、露天風呂に入ったことで、これまでの人生で経験した様々な思い出が蘇ってきたという気持ちを表しています。これは、終活の旅を通じて、自分の人生を見つめ直す機会を得たことを意味していると考えられます。
「終活の旅」という表現は、人生の終わりに向けて、自分の死後のことを整理したり、残された人への思いを整理したりする旅という意味です。この和歌は、そんな終活の旅の中で、露天風呂に入ったことで、これまでの人生を振り返り、これからの人生をより充実したものにしていきたいという気持ちを詠んだものだと考えられます。
具体的には、以下の解釈が考えられます。
終活の旅で、これまでの人生を振り返り、人生を肯定的に捉えるようになった。
終活の旅を通じて、自分の人生を見つめ直す機会を得た。
終活の旅を通して、これからの人生をより充実したものにしていきたいと思うようになった。
この和歌は、終活の旅を通して、人生を見つめ直し、より充実した人生を送りたいという、作者の強い意志が感じられる作品です。