横浜の大名 米倉家の幕末展
今日、1年半ぶりに横浜市歴史博物館の横浜市古文書を読む会へ行ってきた。随分ご無沙汰していたことになる。下読み会の人達とはずっとZoomで会っていたので、それほど浦島という雰囲気でもなかったが、懐かしかった。マスクの顔に慣れていないので、だれがだれかよくわからない。また大きな声を上げてはいけないので、何となく頼りない感じでした。
今日は展示会の企画をやっている小林学芸員に、今回の展示について1時間ほど金沢藩・米倉家のレクチャーをして貰って、その後展示を見てきた。下読み会が何年も掛けて読んできた金沢日記が一つのテーマとして取り上げられていた。また米倉家に保存されていたお宝が、初めて公開されるものの沢山展示されていた。その中の一つとして武田信玄を中心に、家臣88人が一堂に会する様子を描いた絵画(江戸時代)が展示してある。普通信玄の家臣の絵図は「武田二十四将図」と呼ばれる24人描かれるのが一般的だとか?でも今回のものは88人描いている、そして米倉家のご先祖が描かれている。
今年は武田信玄生誕500周年ということで武田信玄の関連で読売新聞か下記のような記事を掲載している。また朝日新聞11月5日(神奈川版)にもこの展示会のことは掲載されている。
米倉家は徳川綱吉、柳沢吉保など親交があり、関連文書もかなり残っている。一つ一つゆっくり見ていくと面白いものがある。また金沢日記でよく出てくる三候神社なんですが、その三候神社とは誰を指しているのか?祭神は誰を祀っているか?米倉陣屋の敷地内にあったらしいのですが、何処にあったか?瀬戸神社に残っていた文書から三人の米倉家のそれぞれ活躍した人が祭神だったことが、判った。また三候神社の社が、横須賀市の船越神社に残っているということが判った。
幕末、明治の4年間の記録を紐解くだけで明治維新の息吹が感じられる。米倉家は大阪番、海防も担当していたし、長州征伐にも出て行っている。激動の時代幕府側として動いたことがわかる。興味をもって見てきました。
企画展
横浜の大名 米倉家の幕末・明治 「日記」が伝える武州金沢藩、激動の4年
横浜市歴史博物館-都筑区センター北
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/
信玄のまわりに家臣88人ずらり…24人が一般的だが「類例のない構図」
http://princeyokoham.sakura.ne.jp/smf/index.php?topic=45325.0
船越神社|横須賀市
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2482/walk_taura/b10001.html
神輿殿として使用している建物は、明治12年、熊野神社が古くなりいたんできたため、横浜市金沢の旧大名家、米倉昌晴氏邸内にあった三光社(三候神社?)の社殿をゆずりうけて、これを移築して社殿としたもの。