つみかさね

一球一球のつみかさね 一打一打のつみかさね 一歩一歩のつみかさの 一坐一坐のつみかさね 一作一作のつみかさね 一念一念のつみかさね

「原敬日記」

原敬スペイン風邪のことを調べていたら下記のような資料が見付かりました。

原敬日記」
http://harakeijiten.la.coocan.jp/page013.html

原敬スペイン風邪は第5巻に入っている。
第5巻大正7年9月~大正10年10月25日

原敬と病気
http://harakeijiten.la.coocan.jp/page011.html
原敬日記」抄2
http://harakeijiten.la.coocan.jp/page020.html#t07

国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果
https://is.gd/RkkDdc
原敬日記」全巻が置いてあるが、国会国立図書館、又は図書館からのリモートで入ってコピーすることが出来る。

原敬と病気より
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大正7年 62歳 東京 政友会総裁 
第19代内閣総理大臣、司法大臣兼任(9月29日)

9月3日 午後5時45分盛岡発にて、帰京の途につく。浅、病気全快にいたらざるにより、当分滞在することとなせり。
9月15日 浅、盛岡より帰京。
10月28日 午後3時の汽車で腰越別荘に赴く。昨夜、北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれ、その席にて風邪にかかり、夜に入り熱度38度5分に上がる。
10月29日 午前腰越より帰京。風邪は近来各地に伝播せし、流行感冒(俗にスペイン風という)なりしが、2日間ばかりにて下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば、今朝帰京せしなり。
10月30日 米籾輸入税中止緊急勅令その他の件につき、枢密院の会議ありしも、余流行感冒後1週間を経ざるにつき、御前に出づることを遠慮して出席せず。
11月9日 過日来の風邪全快せざれば、休暇を利用して腰越別荘に赴きたり。
12月4日 風邪引きこもり中なりしが、東京各組合団体の連合会より招待せられ、かねての約束につき押して出席して一場の演説をなしたり。
12月5日 風邪のため、終日引きこもり療養せり。
12月15日 風邪全快せず。かつ日曜日なるをもって腰越別荘に留まる。

大正8年 63歳 東京 内閣総理大臣・司法大臣兼任 政友会総裁
3月 1日 午後4時55分発にて、腰越別荘に赴く。風邪全く快方ならざるによる。
3月15日 午後5時50分発にて、腰越別荘に赴く。風邪全快せず。
3月22日 本日は大祭日なり。明日は日曜日にて、しかして風邪も全快せざるにより、午前腰越別荘に赴きたり。少々発熱し殊に咽喉はなはだ悪し。
4月2日 午後4時発にて腰越別荘に赴く。風邪全く恢復せざるにより、明日の神武天皇祭に不参して静養に赴きたるなり。
5月5日 浅(註48歳)、病気またまた不良というにつき、早朝腰越より帰る。
6月21日 午後3時腰越別荘に赴く。浅、病気快癒にて同伴したり。
妻病気全快せしとき
今春葉山にて皇后陛下より賜りたる酒肴料七十五円を祝にとて戯に
      生き延びて世にはばかれよ初鰹
9月17日 盛岡滞留の浅、病気再発の報知あり。盛岡との通信不便なるにより東京、盛岡ともに長距離電話に加入することとなし、本夜より盛岡と電話にて通話したり。
9月26日 浅、病気再発にて盛岡滞在中のところ、今朝医師同伴帰京せり(ちょうど榊博士ついでありて盛岡に往きくれたるにより)。

原敬日記」抄2より
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大正7年9月
29日 原内閣成立。原敬内閣総理大臣。司法大臣兼任。
午前9時半、参内して拝謁し、閣員の詮考を奏上し御裁可を得たるにより、本日午後2時をもって親任式を挙行せらるることとなし退出したり。衣服を改め午後1時半参内し、2時をもって親任式挙行せられたり。

30日 午前10時、総理大臣官邸において、寺内より公然事務の引継ぎを受けたり。
10月3日 山縣訪問。
   5日 午後、腰越へ
   6日 帰京
  12日 盛岡にて余が今回大命を拝したるにつき、提灯行列をなし、また、杜陵館にて祝賀会をも開きたる由(なお、その外にも郡村の祝賀会を開けりという)。
13日 午前腰越へ
14日 午前腰越より帰京
15日 参内 
16日 参内 拝謁
陛下御手ずから紙煙草一箱を賜る。
19日 午後腰越へ
21日 午前腰越より帰京
26日 午後腰越へ
昨夜北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれその席にて風邪にかかり、夜に入り熱度38度5分に上がる。
27日 午後腰越より帰京、風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗にスペイン風という)なりしが、2日ばかりにして下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば今朝帰京せり。
30日 米籾輸入税中止緊急勅令その他の件につき、枢密院の会議ありしも、余流行感冒後1週間を経ざるにつき、御前に出づることを遠慮して出席せず。
11月1日 彬(註 兄の子)、函館より申しこすには、兼ねて勉(註 原敬の弟)墓函館天主教墓地にあるも、墓木腐朽せしにより墓石を新設すること先ごろより計画せしところ、去月24日落成祭をなしたりとあり。この墓石のこと久しく気がかりなりしにつき、かの地教会の人々なぢに依頼せしところなりしが、彬出張して一切の処置をなしたれば大いに安心せり。
3日 芝区において政党内閣樹立につき、祝賀会を芝公園内に開き、余及び閣僚等招待せられ出席したり。会する者1000にんばかり。祝詞についで、余答辞を演説して謝意を表せり。
4日 南部同郷会より招かれて、精養軒に赴きたり。会する者80名なりき。
6日 参内 拝謁