つみかさね

一球一球のつみかさね 一打一打のつみかさね 一歩一歩のつみかさね 一坐一坐のつみかさね 一作一作のつみかさね 一念一念のつみかさね

三日転愛合死々: みっかころりあいあいきょうきょう

三日転愛合死々: みっかころりあいあいきょうきょう
https://ehon.dh-jac.net/books/arc/hayBK02-0169

コロナのことを長唄、鼻唄であらわした安政の書物です。なかなかよく作ってあると思う。現在でも判らないことが多い疫病ですが、当時のコロナも外国の船がやってきて流行りだしたものです。そして良く判らなかったせいか、コロナの原因は狐、狐に憑かれたという表現が多く、今のように人を犯人だと目くじらを立てなかった。村の外、外部の人間に執拗な疑いをもったいじめなどはなかったようです。
原因が狐だから、三峯山の三峯神社(ここの神さんは狼)のお札を貰って来て狐を退散させる。それでコロナが退散するという信仰で、決して人を犯人としなかった。今はそれ以上よくわかって、隣人すら疑ってしまう。良い時代なのか?ちょっと考えてしまいすね。
三日転愛哀死々(みっかころりあいあいしし) - 仮想空間
https://is.gd/G5q6Ek


すこしぼんとしたぼん助にお先(さき)狐の
とりついて口に任せた出放題こ
れは怪しと加持祈祷せめ立ら
れて落(おち)しぞと狐の噂に驚きて
家並毎(ごと)の軒の端は八つ手にん
にく寄字(よせじ)の守りみもすそ川や

黒札に狐は恐れをなすとても
乗越て来る疫病がほんに油
断もなら坂やこの手柏(がしわ)の裏表(うらおもて)
返す間もなくしするとは頓死
とん死じやないかいな「それおぼえて
か死ときの其くるしさに引替


過去から学ぶ伝染病予防。日本だけ「コレラ」の影響を受けなかった理由とは
https://intojapanwaraku.com/culture/90941/

1829~1852年(文政12~嘉永5年)、コレラが世界的な流行を見せました。しかし、約23年にわたって世界を覆いつくしたこの伝染に、なぜか日本は巻き込まれなかったのです。
その理由は、鎖国(現在では、完全なる「鎖国」は存在しなかった、とされますが)状態であったこと。コレラは空気感染はしないのですが、生水や生ものを介して伝染します。それらを口から摂取することで感染が成立するため、菌が上陸しなかった=感染者と接触しなかったことが、重大な事態を避けられた要因となったのです。明治17(1884)年、結核菌の発見でも知られるドイツのコッホによって、コレラコレラ菌による伝染病であることが突き止められ、その後、パンデミックなどの大流行が見られることはなくなりました。